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なかなか面白い人生になってきました。

夏がもう終わる。

私の住んでいるところは海に近くて、ビーチもたくさんあるのだが、今年は一回もビーチへ行けなかった…ああ、夏が終わってしまう。まあ、泳ぐわけでもないし季節外れのほうが空いているから冬でもいいのだが。この夏はやたらと氷を買いに行く夏だった。冷蔵庫が壊れて修理の人が一週間ほど来れなかった時と、停電の時。毎日氷を買いに行っていたスーパーのお姉さんに、もう明日は会わないといいわね!と言われていた。

 

さあ、新学期が始まる。なんか忙しすぎてすごいことになるぞ、この秋は。

嵐と停電

火曜日の嵐が、大きな木を折って大変な被害をもたらしている。うちも、すんでのところで屋根の上に木が倒れてくるところだった。もしそうなっていたら、間違いなく屋根を突き破って、電線の大元を壊していただろう。あたり一帯が4日間停電になったが、直接の物的被害を被らなかったのは幸運である。うちはオール電化なので料理もできず、シャワーも使えなかった。コロナ禍で人に直接会うことがないので、誰に迷惑はかけていないと思う。唯一のライフラインである携帯電話を使えるように、一度図書館に充電をしに行った。随分感覚を空けて座るようになっていたが、どのくらい安全なのだろうか。でも停電の身にはありがたかった。

少し遠出

自粛が始まって以来初めて、よそでゆっくり座った。

車で40分くらいのところ、少し田舎のほうの、ワイナリーのある地域へ出かけた。青々と育っているブドウ畑を眺めながら、大きく間隔の取られた屋外のテーブルで、スパークリングワインとパンとチーズをいただいた。何度も来たことがあるし他には何もない所なのだが、なんだかすごく楽しくて、よく考えたら4か月以上も、家以外の場所で腰を下ろしたことが無かったのだった。

色々憂鬱だった心も軽くなって、ああこんな日も必要なんだなぁと、しみじみと感じた。

 

美術史の変化

このところずっと、秋からの授業の準備にかかっている。

自分が?年前に受けた授業とほぼ同じ内容のものなのだけれど、言うまでもなく受けるのと教えるのでは全く違うので、勉強しなおし。学生の頃使っていた教科書は第11刷とあり、今のは第16刷なのだが、記述の違いが面白い。科学の進化は年代の鑑定を正確にし、考古学の新しい発見は歴史の見方を変える。特に、ヨーロッパの文化に対しては、従来の姿勢に批判的な態度がうかがえる。ギリシャの遺構は「民主主義の栄光の象徴ではなく、暴政と権力乱用の結果です。」と書かれているし、ミロのビーナスは「神話を借りて女性の裸を性的に表現」とフェミニズムが入り、楽しい。

美術史 I、といった概論のクラスは西洋の白人男性文化中心の視点が強く、アメリカでもYale大学などはトピック別のクラスだけを教える方針に変えてきている。短所と長所はそれぞれあると思うが、このような批評精神が教育の現場に反映されていくことは素晴らしいと思う。

 

 

 

4か月が過ぎて。

 もう、自宅待機が突如始まってから4か月以上経つ。長いような短いような不思議な感覚だけど、思い返せば濃密な4か月間だった。最初の2か月はオンライン授業への移行にあたふたとしつつも必死で毎日卒業論文を書いて、そのうえ仕事も探したりして、なんであんなに頑張れたんだろうか。そのうちBLMのデモが続き、政府からは次々と移民を苛ませる考案が出され、気持ちがなかなか厳しかった、これは。留学生追い出しの件については、あまりにも無茶な考えにハーバードとMITを怒らせちゃったからとりあえず諦めたみたいだけど、USCISは今日も静かに新しく、労働許可証の取得を阻みそうな告知をしたようだ。

 この状態はまだしばらく続くだろうし、2022年まで続くと言っている専門家もいるようだから不安は尽きないのだが、何せ全く未来の予測がつかないのであまり先のことを悶々と思い悩むのもよろしくない。家にこもっているとはいえ毎日するべきことは山のようにあって全然追いついていないけれど、休憩するとソーシャルメディアを目にしたり残念なニュースを読んだりしてしまい、これがまた身体によくないことこの上ない。

 ブログのページは随分前に作ったものの、空っぽだったのを思い出した。折から日本語で文章をまた書きたいと思っていたので、感じたことや考えたことをここに載せていくことにする。